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1999年のNATO空爆 ―戦争犯罪?―

1939年から1945年にかけての第二次世界大戦で大勢の民間人は犯罪に苦しんでいた。同じことを繰り返さないために国連を創設した。国連の一番大事な目的は世界の平和を守ることである。国連加盟国の領土保全と統治権は国連憲章で保障されている。現代、世界の平和は、国連憲章とジェノサイドの犯罪の防止と処罰に関する条約などの国際条約の遵守に基づいている。

国連憲章第2条では、国際紛争の解決のための武力行使を禁じている。しかし、正当な自衛権の場合は第51条が適用されない。この場合、直接軍事攻撃に応戦することができることを意味している。しかし、安全保障理事会が介入する権利を留保するような軍事攻撃は、国際平和と安全を脅かす恐れがある。また、第52条に定められた地方団体の権利は、国連や国連の委任統治下で認められている。しかし、地方団体による軍事行動は安全保障理事会の許可を求める必要があるので、安全保障理事会は、国際平和と安全保障、平和維持の分野で独占的な力を持っていると言える。その役割は、国連憲章第25条の規定に基づいている。

NATO協定では、NATO加盟国は攻撃された場合だけ軍隊を用いることができ、加盟国は共同で攻撃に対応することになっている。しかし、コソボはセルビアの一部分であり、NATOの加盟国ではない。そのため、安全保障理事会の武力行使のための許可を受けていない1999年のNATOの空爆は、国際法の観点からは、違法な行動であるということができる。もちろん、原則的には国や組織が、安全保障理事会からはっきりとした許可を得る必要がある。しかし、多くの場合、これらの(軍事的)行為は安全保障理事会の黙認によるものである。2003年のアメリカによるイラクの攻撃もそうだったが、これは1999年のコソボへの空爆にもあてはまる。国際法ではこれらの事例に対し、多くの批判がある。一番有名なのはタフツ大学フレッチャースクール国際法のMichael J. Glennon教授の書いた”How War Left the Law Behind”という論文である。この論文は現代国際法の存在と機能について書いている。

人道法は戦闘時に兵士を保護するためだけではなく、民間人の保護ためにも、尊重されなければならない。そのために国際協定が結ばれている。1949年の4つのジュネーブ協定と1977年のジュネーブ協定の追加議定書は、国際的な武力紛争の犠牲者の保護を意味するものとして適用される。また、武力紛争の際の文化財は1954年のハーグ協定で保護されている。

1999年のNATOの軍事介入では、NATO加盟国は、毎日これらの国際協定と国連憲章に反して様々な戦争犯罪を行った。ジュネーブ協定に反して毎日様々な民間の施設を空爆した。その民間の施設には道路や発電所や暖房設備などが含まれている。さらに、NATOのスポークスマンJamie Shea氏はメディアに正当な軍事目標を攻撃していると述べた。NATOの意見においては、メディアは、宣伝マシンとして提供されているという主張に基づき、戦争の正当なターゲットとした。それに対して、ユーゴスラビア軍は、国際法と国際条約を守ったため、武力戦争の時、多くの外国の記者がユーゴスラビアからリポートを送ることができた。ジュネーブ条約の下では、ジャーナリストは非戦闘員になっている。1999年4月23日、国際ジャーナリスト連盟はNATO軍によるセルビア国営テレビの空爆を非難した。

NATOの軍事介入の目的はアルバニア人をユーゴスラビアの軍隊から守るためと言われたにもかかわらず、NATOはアルバニア難民の車列を空爆した。それ以外にも、国際列車や民間バスやホテルなどを目標にした。

NATOは禁じられた大量破壊兵器と死と苦痛を与える無差別の武器をすべてのユーゴスラビアの人々に対して使用した。長い期間致命的な影響を与えると米国原子力規制委員会が警告したにもかかわらず、NATOは劣化ウランを使用したミサイルや爆弾や銃弾でユーゴスラビアを攻撃した。これらの劣化ウラン兵器により、大気、土壌、地下水、食物連鎖などに、放射性物質が拡散し、ユーゴスラビアの次世代が遺伝的障害やがん、腫瘍、白血病などの危険にさらされ、生命を脅かされた。クラスター爆弾は使用され、カミソリのように鋭い金属の破片を広範囲に散布させ、致命傷を与えた。これらの爆弾を病院や教会やモスクや学校やマンションや工場など、人口が密集する場所に対して使ったため、犠牲者を出し、物的な被害ももたらした。

NATOは空中攻撃やミサイル攻撃で意図的にユーゴスラビアの全域に長期的で深刻な環境災害をもたらした。飛行機が国境を越えて侵入し、大気中の汚染物質を増加させた。千トンの爆発物は、大気中に膨大な量の化学物質をまきちらし、それがもととなって、火災がしばしば何日間か続いた。また、わざとベオグラードやノビサド、NISと他の主要都市の近くで化学、石油化学、石油、ガス精製、貯蔵および伝送設備などをターゲットとし、多くの人々が危険で有害な汚染にさらされた。劣化ウラン弾については上述のとおりである。

1999年には、ユーゴスラビア連邦共和国はハーグの国際司法裁判所にNATO加盟国十か国に対する訴訟を起こした。しかし、裁判所はユーゴスラビア連邦共和国は、国連のメンバーではなかったため、1999年の戦争について判決を下せないとした。しかし、ギリシャの22州の評議会メンバーは、空爆はNATOの戦争犯罪であるとする宣言に署名した。

NATOの空爆による市民の死者数はデータによってそれぞれ違う。ユーゴスラビア政府によると1,200人から5,700人で、NATOは1,500人とした。ヒューマン・ライツ・ウォッチでは500人ぐらいである。しかし、ここで挙げられている数字は戦争中の死者数であって、実は子どもを含む多くの人々が死亡したのは戦争の次の年なのであり、戦争による死者数は前述の数字より多いのである。これは不発クラスター爆弾のせいである。

戦争は、1999年6月10日の条約締結によって終わった。同じ日に、国連安全保障理事会決議1244を可決し、ユーゴスラビアの領土保全と統治権を確認した。警察や軍はセルビアコソボ自治州の平和維持軍になったが、次の年に暴力がエスカレートし、セルビア系住民やその他の非アルバニア人が州から避難をしたり、ユネスコの保護下にある文化遺産の多くが破壊されたりした。

2008年にはアルバニア人がいわゆる『コソボ共和国』を宣言し、国連安全保障理事会決議1244と国連憲章違反を宣言した。また、いわゆる『コソボ共和国』の独立を認めたのは、わずか54か国にすぎない。

以上から、1999年のNATOによるコソボの空爆は戦争犯罪であると考えるのである。